サーカスコーヒー、もうすぐ10年目(振り返りシリーズ1)

もうすぐサーカスコーヒーもこの12月で10年になります。

 

オープン当初




10年前、

こんな風に今も変わらずコーヒー豆の販売を続けていける

という自信もなく、

とりあえず、目の前の課題を片付ける、

つまり、子供が3人いて、ここで生活費をどうやって稼ぐか、

ザ・町家というような店舗付き住宅を

とりあえずローンを組めたので

ローンを返しつつ、生活費を稼ぐ、という課題でした。

 

2代目でもなく

名もないところからお店をすること、

怖さばっかりでした。

 

コーヒー豆屋をする、焙煎などの知識はあっても

どんな感じのお店にするか、私の分野はそっちでした。

 

まずは名前、何がいいかなと

その当時、

同志社大学で経済学部の事務スタッフのアルバイトをしながら

頭はお店のことばっかりでした。

 

名前は二人とも背が高いし、キリン好きだしとかで

呼びやすいし、などでキリンコーヒーにするか、

など言っていたのですが、

検索すると

もうすでにキリンコーヒー?キリンカフェかな?

はありました。

 

残念。

 

また考えなおし、英語でも表せて、

アルファベットでも表記できるのがいいなぁ

楽しそうなの、サーカス、サーカス、サーカスどう?

 

ということでまた検索、するとサーカスコーヒーはなかったんです。

サーカス、調べてみると「集う、集まる」という語源があるそうで

あ〜、大学のサークルとかもここから来てるのか、

などと思ったものです。

 

 

集う、集まるというのは

 

私が子育てをしていた時、一人目の子を育てていた時、

実家は奈良、そんなに遠くないけど

母親はまだ仕事をしていたので、簡単に頼れず、

地元でもないので友達もそんなにいなくて、

 

本当に孤独を感じて、社会からも切り離されたようで、

社会にまた復帰できるのか、など日々、時間はたっぷりあるけど、

まだ話さない子供と対峙するだけの毎日が私はとてもしんどくて。

楽しそうに子育てをしている人や、毎日楽しそうに日々を過ごしている人が

羨ましくて羨ましくて、発信しているもの、全て遮断していきました。

 

なので、

どうせお店をするなら、駆け込み寺ではないけど、

そんな孤育てをしている人も、あそこ言ったら話できるわ、

大人の話できるわ、みたいな場にしたくて。

 

私も西宮で自分のご褒美のようなお店があり、

nitte(ニテ)という生地屋さんで、

主にオーストリアやドイツのビンテージの生地を販売しているお店です。

そのお店に行っては店主の愛子さんとお話しして、ホッとして、

可愛い生地を見ては、ちょっとあんなん作りたいな、とワクワクして

子育てを乗り切っているところがありました。

 

業種は違えど、自分がお店をするなら、

そんなお店が私の頭の中で、ぼんやりとありました。

 

そして、サーカスコーヒーという名前にして、

もひとつ良かったことは

どんな色を入れても、どんなに賑やかでも、サーカスだし

というイメージにちゃんとハマるから、ぴったりでした。

 

私は結婚前と長女を産むまで

ラ・ドログリーというお店で働いており、

色とりどりの素材に、

色とりどりのお店に、

色んなカラーを出しているスタッフに、

大好きがいっぱい詰まったお店が大好きでした。

 

そんなお店で働いていたので、

もちろん私のお店は色がいっぱいになりました。

うるさいぐらいに。

でも賑やかで楽しいね、

とよく言ってもらえるのでその度に照れます。

 

次はのれんのお話。

また読んでいただけると嬉しいです。


オープン当初