祝独立20周年!東ティモール独立までをできるだけわかりやすく?素人解説!

おはようございます!


今日は

東ティモールが独立して20周年の

独立記念日です。


昨日は

ブログで私と東ティモールの関わりを

書いていました。


それにしても

私も色々と東ティモールのことを学ぶ前まで

いろいろな疑問がありました。


もともと

そんなに大きな島でないティモール島がなぜ

東と西に分かれてしまったのか?

独立博物館独立博物館

現地の博物館に行って

はじめてなんとなくですが理解できました。


素人の私なりに

理解している内容を書いてみようと思います。


わかりにくいところもあると思います。

すいません。


元々

ティモール島は

16世紀ごろ

ポルトガルがティモール島を植民地にしました。


当時、ポルトガルやオランダが

植民地政策で世界覇権を巡って

各地で争っていました。


1859年リスボン条約で

ティモール島をお互いの国で2つに分けることで

ポルトガルとオランダが折り合いをつけた形になりました。


ポルトガル側に植民地になった

東ティモールはその後ポルトガルの文化を

大きく受けることになりました。


第二次世界大戦中は

一時日本の統治下となりました。


戦後、

ポルトガルの再統治となったのですが

1974年にポルトガルでカーネーション革命が起こりました。

この革命で、

ポルトガルの植民地維持の体制がくずれて

東ティモールでも独立運動が高まりました。


独立の方向性で

ポルトガル政府と連携を続ける組織と

共産主義国の成立を目指す組織、

インドネシアと統合を目指す組織と

3つの組織で争いになりました。


共産主義勢力が一時独立宣言をするも

反共のインドネシアが武力で強引に

東ティモールをインドネシアに取り込んでしまいました。


国連総会でこのインドネシアの統合を非難する決議が採択されたのですが

共産主義国家に反する日本、ヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアは

これを黙認していました。


東ティモールの軍事的な制圧、虐殺など

人権侵害が繰り返される中も

黙認されておりました。


そんな中

1991年

平和的なデモ隊にインドネシア軍が無差別発砲し

400人近くが死亡した

サンタクルス事件の様子が映像として発信され、世界で

東ティモールの現状が知られるようになりました。

サンタクルス


サンタクルス

そのころ

インドネシアの独裁政権が崩壊して

東ティモール独立の国民投票が行われることになり

独立が決定すると、

独立するなら

最後痛い目にあわせてやろう的な感じで

インドネシア軍が民兵や軍を使って破壊と虐殺を開始。


オーストラリアを中心とした国連の平和維持軍が制圧し

一時的に国際連合東ティモール暫定行政機構が

独立までの統治をおこないました。


その後

2002年5月20日に東ティモールが独立。


という流れだそうです。

ザックリとした素人解説ですので

ご了承くださいね。


主要な産業がなく

原油の収入に依存していて

現在でもアジア最貧国の東ティモール。


インドネシアとして統治されていた時の方が

経済的には安定もあったそうですが

それでも

東ティモール国民は独立の道を

選んだということだそうです。


ただ、

独立して20年経った今

風化してきて、

次世代に伝えていくことが

課題であるということも言われていました。


また

今後、国としては

原油収入に依存しない産業の成長が

急務です。

その一つがコーヒー産業です。


今日はちょっと難しい内容でしたが

がんばって最後まで読んでいただき

ありがとうございました。


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